日本仏教にせよヨーロッパのキリスト教にせよ、衰退する伝統宗教というのは、結局のところ宗教の本質、信仰信心や霊性を理解することなく、それらを薄めて薄めて「儀礼」や「伝統文化」に移行させ、あるいは民族主義や国家主義という「政治」の道具と化すことに帰結していく。
これは要は世俗主義があまりに普通になり、宗教をもはや世俗主義や世俗倫理の枠内でしか考えられなくなった事態のことだ。
日本仏教は飛鳥奈良の昔からそうだった可能性があるので、仏教を真に宗教として考え実践しようとする人(若い頃の各祖師や聖者たち)は皆いつもマイノリティであった。
そうして、少数の「宗教を宗教として考えた者たち」が彼らの弟子となり信者となり小さなグループを作り、結集していた。しかしいずれそのグループも大抵は世俗主義に頽落していくか、グループごと消えていく。
あと日本仏教の歴史的社会的事象の大半は事実上、世俗を超えた宗教ではなく、「術」の疑似体系なように思う。「術」というのは、端的に現世利益や現世的幸せを目的としたもので、これは世俗主義の範囲内の欲や願望の次元の話であり、医学やテクノロジーの発達により捨て去られる範疇のものでしかない(真宗門徒だって寺の外でじゃんじゃん祈祷を頼むし、修験行者には門徒が多かったし、そもそも念仏を呪術的効能を期待して唱えることもかなり多い。それが実態)。
だから、「科学の発展」と「宗教の無価値化」を並べて違和感を持たない。代替可能なんだから。また、インチキ宗教ほど科学を持ち出すメンタルも根っこは同じである。
そりゃ、衰退するよ。